とはいえ、世間はまだまだ「平成最後」とか「令和初」などの表現も飛び交っていますし、新天皇の即位にかかわる皇室行事もつづきますので、この騒ぎは少なくとも年末年始くらいまではなんらかのかたちでくり返されることでしょう。
少なくとも、政権やメディアをあげて多くの国民が巻き込まれてフィーバーするようなことなのか、きちんとした議論が必要でしょう。
労働者教育協会としてもこのことを重視していきたいと思っていますが、とりあえず参考までに、労教協理事で政治学者である五十嵐仁さんのブログを転載します。
**********
10連休中の4月30日に天皇が退位し、翌5月1日に新しい天皇が即位しました。テレビなどには特別番組があふれ、懸念した通りの大騒ぎとなったのは誠に残念です。
街頭インタビューなどで、「令和をどんな時代にしたいですか」という問いがありました。私はこう答えたいと思います。
「安倍首相のいない時代にして、世の中をもっとまともなものにしたい」と。
街頭インタビューなどで、「令和をどんな時代にしたいですか」という問いがありました。私はこう答えたいと思います。
「安倍首相のいない時代にして、世の中をもっとまともなものにしたい」と。
天皇の代替わりと改元は、天皇制について考える絶好の機会でした。しかし、その政治利用を目論む安倍政権の画策や商売のために利用しようとしたマスコミ各社の思惑などのために、そのチャンスは生かされなかったようです。
日本が本当の「国民主権」を実現し自由で平等な民主主義社会になるために、天皇制は廃止しなければなりません。それは自由でも平等でもない身分制社会からの遺物であり、時代遅れの制度だからです。
現行憲法制定の際はこの制度をなくすチャンスでしたが、戦争放棄・戦力不保持を定めた憲法9条とのバーターという形で天皇制を存続させる第1条が定められました。その代わり「象徴」としての地位にとどめられ、「政治的権能」を持たないものとされています。
そもそも、天皇はじめ皇族は国民の上に立つ特別の人々であり、平等に反する差別的な存在であることは明らかです。それは「差別の制度化」であり、このような格差の存在が憲法で認められていること自体、民主主義にとっての大きな欠陥です。
また、女性・女系天皇が認められず、剣璽等承継の儀に女性皇族の出席が認められなかったのも問題です。明らかな女性差別であり、男女平等に反します。
現在の天皇制は法の下での平等にも男女平等にも反する二重の意味での不平等な存在となっています。女性・女系天皇や宮中行事への女性皇族の参加が認められるようになっても、天皇制が持つ本来的な不平等性はなくなりません。
また、女性・女系天皇が認められず、剣璽等承継の儀に女性皇族の出席が認められなかったのも問題です。明らかな女性差別であり、男女平等に反します。
現在の天皇制は法の下での平等にも男女平等にも反する二重の意味での不平等な存在となっています。女性・女系天皇や宮中行事への女性皇族の参加が認められるようになっても、天皇制が持つ本来的な不平等性はなくなりません。
また、制度の存続が生きている生身の人間に依存しているという点で、象徴天皇制は極めて非人間的な制度でもあります。この制度を維持するために、天皇一家は居住の自由などの法的権利を制限されているだけでなく、自らの人生を自ら選んで決定するという人間としての生き方を制約されています。
天皇直系の男子として生まれれば、すでにその時点で人生は決まってしまうのです。可哀そうではありませんか。
象徴天皇制を容認したり擁護したりする人々は、このような人為的な制度を維持するために人としての権利や自由を奪っても良いと主張していることになります。天皇の代替わりに伴って自らの意思とは無関係に皇位継承3位となった少年は、天皇制維持のための人身御供とされたようなものではありませんか。
このような問題を孕んでいるにも関わらず、国民の多くは象徴天皇制を受け入れ、今回の代替わりと改元を歓迎しているように見えます。それは何故でしょうか。
もともと日本人は「空気」を読み、進んで「長いものに巻かれる」過剰同調性ともいえる国民性があり、お祭り騒ぎが大好きです。今回も、一種の「お祭り」として受け入れられたのかもしれません。
それに輪をかけたのが安倍政権による10連休という「プレゼント」であり、それに便乗したマスメディアなどのバカ騒ぎでした。そのために「お祝いムード」一色となって異論が押さえつけられてしまったのです。
平成天皇はリベラル色が濃く、憲法を守る姿勢を取り続けてきたことは国民にとって幸いでした。同時に、そのために天皇制が持っている本来的な問題点が覆い隠され、象徴天皇制の浸透と定着が図られてきたことは見過ごせません。
安倍首相に比べれば、前の天皇はずっとまともで信頼できるという点も大きかったでしょう。政府と政治に対する信用と信頼が失われた分、象徴天皇制と平成天皇に対する信用と信頼が高まったということがあったかもしれません。
そのために、社会的な分断の克服と国民的統合、現行憲法擁護の役割を天皇に果たして欲しいという願望や期待が生じたように見えます。しかし、主権者は国民なのですから、このような願望や期待は筋違いだと言わなければなりません。
天皇退位による代替わり騒動の今こそ、天皇は象徴にすぎず、主権者は私たち国民だということを強く自覚する必要があります。そのためには、まず、代替わりと改元を冷静に受け止め、政府やマスメディアによって画策されているバカ騒ぎに巻き込まれないように自戒しなければなりません。
また、安倍政権による代替わりと改元の政治利用を許さないために、バカ騒ぎの背後に隠されている政治的意図をきちんと見抜くことも必要です。「お祝いムード」に流されず、おかしなことはおかしいと言い、声を上げ続けていかなければなりません。
さらに、主権者は国民であることを忘れず、選挙などの機会に主権者としての権利をきちんと行使することが必要です。7月の参院選はそのための絶好の機会ですから、天皇代替わりを政治利用し支持拡大をもくろんでいる安倍首相にキッパリと「ノー」を突きつけなければなりません。
天皇や元号が変わっても、私たちの日常の生活には何の変化もありません。しかし、首相が変われば生活のあり方も大きく変わります。
来たる参院選で、安倍首相を政権の座から追い出せばいいんです。そうすれば「安倍首相のいない時代」を実現でき、「令和」は本当の意味で新しい時代になるのですから。
※転載元はこちら。
**********
2019年度勤労者通信大学受講生募集中!
安倍政権打倒の歴史的チャンス!
市民と野党の共闘にもとづく民主的政権が実現すれば、諸要求を実現する客観的条件としてきわめて重要な意味をもちます。
学びつつたたかい、たたかいつつ学ぼう!
受講申込・資料請求・お問い合わせは下記まで。