労働者教育協会のブログ

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憲法第96条憲法改正条項に具体的ルールが書いてないのはなぜ?

 憲法第96条の問題がいろいろと取り沙汰されておりましたが、ふと、以前の勤通大受講生でこんな質問をし、現代史研究者の柴山敏雄さん(現在は勤通大憲法コース教科委員。この質問への回答後まもなく、『日本国憲法は「押しつけられた」のか?』を学習の友社より刊行)に回答してもらったことを思いだしました。
 ホームページの「憲法学習のページ」がそのままになっており、そこに掲載してあります(こちらをクリック)が、こちらにも掲載します(読みやすくするため、改行を増やすなどの措置をとりました)。
 
 
Q:憲法第96条の憲法改正の条文には具体的な改正のルールが書かれていませんが、その理由はなぜなのでしょうか?

A:
 憲法第96条の改正の手続とその公布の規定について、憲法制定過程ではどのようなことが想定され、議論があったのでしょうか。
 改正条項が現行規定のようにまとまっていく過程を、当時法制局第一部長として日本政府の草案づくりに携わっていた佐藤達夫氏の『日本国憲法成立史』(有斐閣)を参考にみてみましょう。
 
 占領軍も高い評価をし、自ら草案を作成するにあってとても重視したとされる民間の憲法研究会(鈴木安蔵らの知識人グループ)の憲法草案要綱(1945年12月26日発表)では、憲法改正条項について次のように規定していました。

  憲法ハ立法ニヨリ改正ス但シ議員ノ三分ノ二以上ノ出席及出席議員ノ半数以上ノ同意アルヲ要ス
  国民請願ニ基キ国民投票ヲ以テ憲法ノ改正ヲ決スル場合ニ於テハ有権者過半数ノ同意アルコトヲ要ス

 この憲法研究会の草案要綱に対し、占領軍は早速翻訳して検討し、46年1月11日に民政局のラウエル中佐が起草し、ホイットニー民政局長も署名した覚書を幕僚長に提出しています。
 この覚書のなかで、憲法研究会草案の諸条項は、民主的で、かつ承認できるものであると高く評価しつつ、憲法におりこまなければならない重要な点ととして、憲法最高法規性、刑事被告人の人権保障などとならべて、「憲法の改正は、国民の過半数の投票による承認をえて、はじめて有効になるものとすること」と勧告しています。
 占領軍の憲法草案を起草する中心メンバーのラウエルらは、憲法改正は「国民の過半数の投票による承認」を基本に考えていたものと思われます。

 2月13日に日本政府に示した占領軍の憲法草案では、

此ノ憲法ノ改正ハ議員全員ノ三分ノ二ノ賛成ヲ以テ国会之ヲ発議シ人民ニ提出シテ承認ヲ求ムヘシ人民ノ承認ハ国会ノ指定スル選挙ニ於テ賛成投票ノ多数決ヲ以テ之為スヘシ
右ノ承認ヲ経タル改正ハ直ニ此ノ憲法ノ要素トシテ人民ノ名ニ於テ皇帝之ヲ公布スヘシ

との改正条項を示していました。
 ここでは発議の要件としては議員全員の3分の2とし、国民投票は賛成投票の多数決をもって決めるとしています。
 
 占領軍から憲法草案を示された日本政府は、日本案の作成に入りました。
 憲法改正条項について日本政府は、「人民ノ名ニ於テ皇帝之ヲ公布スヘシ」を、「人民ノ名ニ於テ……」ではなく「国民ノ為ニ……」と修正提案しましたが、占領軍民政局はこれを認めませんでした。
 憲法は、天皇が国民のために公布するのではなく、主権者である国民が改正・制定するとうい考え方にたっていたのだと思います。

 46年4月5日、政府は「帝国憲法改正草案要綱」をまとめ、公表しました。この草案要綱のなかの憲法改正条項は、

各議院の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、国会の定めるところにより行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体をなすものとして直ちにこれを公布する。

となっていました。現行第96条の規定とほぼ同じです。
 このようにまとまった経緯はよくわかりません。

 幣原首相は、国民投票が総選挙と一緒でなければならないということになると不便だから占領軍当局と修正のための協議をするよう担当者に指示し、その結果、「国会の定めるところにより行はれる投票」を「特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票」と現在の規定に修正されました。

 こうした占領軍とのやりとりを経て、4月17日に「帝国憲法改正草案」としてまとめられ、国民に発表されました。

 帝国議会の審議のなかで、憲法改正条項については、衆議院の先議権を認めず両院対等なのはなぜか、などの若干の質問と日本社会党から憲法改正案が国民投票で承認された場合の公布について、「天皇は、国民の名で」を「内閣総理大臣天皇の認証を得て国民の名で」という修正案が提出された(承認されなかった)程度であまり議論はなかったようです。
 これらの質問にたいして金森憲法担当大臣は、憲法改正は国民がつくるというところに重点をおいているので、一般の法律とちがって衆議院参議院をまったく同じ立場においた、なぜそうしたかというと憲法の安定性を図るためできるだけ大事をとらなければならない、法律の場合は、執行を急ぐ立場から衆議院に重点をおいたが、憲法は急ぐことよりもむしろ慎重というところに重きをおかなければならないので、両院を同じかたちにした、と説明しています。

 実は、議会審議に入る前に政府は、想定される質問とその回答を法制局に準備させました。
 その想定問答のなかで、憲法改正手続きについては、改正案の発議権は国会の各議院のみか、憲法改正の発議は、なぜ参議院衆議院が対等の立場を認めたのか、などであり、国民投票に関する質疑は想定されていなかったようです。

 なお、この想定問答のなかの回答で、「憲法改正は、日本国の根本法の改正であるから、……憲法改正は万人の充分な納得の下に行はれなければならない。……発議権についても両院の意見一致を必要としたことは、かやうな万人の納得を図る考慮に出たものと考へ得る。……事の実際に於ては憲法改正の手続のとられる前に、澎湃として改正の世論が起りそれが成熟し、したがって国会の発議はかやうに明確化した世論の実現のための単なる手続にすぎぬこととなるべきであるから、両院の歩調は揃ふものと思はれる」と、当時の政府は、憲法改正は国民の充分な納得のうえでおこなうことを想定していました。  
 
 
 このように、憲法制定過程においては、国民投票についての具体的な議論や質問、「投票において、その過半数の賛成」についての具体的な基準などの検討はなかったようですが、以上みてきたような経過と憲法草案にたいする政府の答弁をみてみると、憲法制定当時は憲法改正についてはきわめて慎重にかつ圧倒的多数の国民の理解と承認のうえにおこなわれるべきものであると想定されていたと考えられるのではないでしょうか。
 また、占領軍は憲法改正の公布を「人民の名において」天皇が公布することにこだわり、「国民のために天皇が公布する」という日本政府の修正意見を認めなかったように、憲法を改正するか否かは主権者である国民が決めることであり、したがってそれは圧倒的多数の国民の意見が反映するしくみでなければならないということになるのではないでしょうか。
(柴山敏雄/現代史研究者)

《参考文献》
佐藤達夫日本国憲法成立史』(有斐閣
古関彰一『新憲法の誕生』(中央公論社