労働者教育協会のブログ

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森本敏氏の防衛大臣就任と文民統制問題

 先日、「路傍の人」さんから、森本敏氏の防衛大臣就任は文民統制上、問題があるのかないのか、労教協の見解を聞かせてほしいという注文をいただきました。

 この件について協会内部で議論しているわけではないので、協会としての見解をのべることはできません。
 ただ、けっこう大事な問題だと思いますし、個人的にも関心がありましたので、少し調べてみました。
 以下の発言は、あくまでもブログ担当者個人の責任によるものであることを最初にお断りしておきます。

 結論から先にいうと、これはたしかに憲法違反ですね。
 ただ、そのことをとりたててとりあげて問題にすることは、さして意味のないことだと思います。

 あとでのべるように、そもそも日本国憲法は軍隊をもつことを想定しておらず、文民規定は軍国主義の否定をより徹底するために、閣僚からの旧軍人の排除を徹底するという、制定当時の事情が反映していたといえます。

 我々の立場からすれば、自衛隊は明らかに憲法違反の存在です。
 ただ、政府は「軍隊」ではなくて自衛のための必要最小限の部隊であるから合憲だと居直っている。
 それだったら、文民規定など気にする必要ないわけで、極端ないい方ですが、現職自衛官だろうが誰だろうが、首相や与党が必要と判断するならば、大臣に起用すればいいんじゃないですか、ってことになるでしょう。

 ところが、政府の方はいろいろ「配慮」してなのかどうかはわかりませんが、これまでは現職自衛官防衛庁長官防衛大臣に起用することはなく、やや問題となったのは小泉内閣のときの中谷元氏(元自衛官)くらいで、それも当時野党だった民主党がやいのやいのいったくらいで、さして問題にされなかったと思います。

 それにしても、中谷氏の起用を問題にしておいて、今回は平気で森本氏を起用する民主党厚顔無恥ぶりにはあきれてしまいます。
 今回、文民統制が議論になっているのは、一面では身からでたサビともいえるのです。

 というわけで、文民統制とは何かということをちょっと考えてみましょう。

 『社会科学総合辞典』(新日本出版社、1992年)によれば、文民統制(シビリアン・コントロール)とは、「軍事にたいする政治優先、政治による軍事の支配・統制をさす概念」ということです。
 6月6日付の『東京新聞』記事「森本敏新防衛相 文民統制 揺れる境界 『民間人、自衛官出身』で賛否」とする記事では、日本近現代史を専攻する纐纈(こうけつ)厚氏(山口大学教授。記事では専攻は「日本政治」となっているが、軍事史を中心とする近現代史の専門家です)が「文民統制の基本的な考え方は、民主主義が軍部よりも上の立場にあるということ」だと、上記の定義と同様の発言をしています。

 纐纈氏の力点は、文民統制の土台は民主主義であり、森本氏の防衛大臣起用が法的には問題なくても、民主的な選挙によって選ばれた国会議員でないのは問題だと強調します。
 法的に問題がないかはどうかはこのあとのべますが、これはこれとして、1つの見識だと思います。

 では、法的にはどうなのか。
 日本国憲法第66条第2項「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」の「文民」(軍人でない人のこと)は、日本が再び軍国主義化することを懸念した極東委員会構成国の合意を背景にして誕生したといわれています。
 日本国憲法は第9条で戦力を放棄していますから、この条文で想定されているのは、旧帝国陸海軍の軍人を内閣構成員から排除する、ということでしょう。

 政府も当初は、「文民」の意味を、「過去において職業軍人の経歴を持たない者」と解釈していました。
 ところがその後の、自衛隊という事実上の「軍隊」が出現するという、当初の想定とはちがう事態が生じました。
 そこで政府は1965年以降は「旧陸海軍の職業軍人の経歴を有するものであって軍国主義思想に深く染まっている者あるいは自衛官の職に在る者」と解釈を変更しています(『三省堂憲法辞典』2001年)。
 しかしこの解釈は、「軍国主義思想に深く染まっている者」という基準は曖昧だという批判があったり、また、自衛官についても現職だけなのか、元職もふくむのかがハッキリしません。
 上記に紹介した『東京新聞』記事では、政府解釈では現職自衛官以外は「文民」だとしています。

 こうした政府解釈にたいして、学説的には、元自衛官もふくめて「文民」規定が適用される(すなわち、過去においても現在においても自衛官をふくむ軍人の経歴をもたない人間が「文民」となる)という見解が多数と思われます。
 現に「軍隊」が存在している以上、このように解釈しないと、現職自衛官はもとより、自衛隊内部に影響力をもつ元自衛官が首相や国務大臣になれるということになってしまい、再び「軍人」が政治を牛耳るという事態を招きかねないという懸念があるからです。

 このことにかかわって、先の『東京新聞』記事では、興味深い指摘をしています。

 「極端な例とはいえ、自衛官を退官させ、いったん民間人にした上で、防衛相として起用するようなことが認められれば、文民統制は事実上、崩壊する」。

 たしかに、理論上はそういうことがありえます。
 ですから、少なくとも学説としては、「文民」の具体的内容を上記のように徹底することは意味のあることです。
 まあ実際問題、そこまで露骨なことをやるとも思えませんがね。

 以上のような理由から、私としては、森本氏の防衛相起用は憲法違反であると考えます。

 ただ、最初にものべたように、このことを追及することは、現実的にはさして意味のない行為だと思います。
 問題の本質は自衛隊、そして安保という憲法違反の存在が強行されてきた歴史そのものにあるわけであって、そのことを抜きにこの問題だけをとりあげるのはただの消耗でしょう。

 もし自衛隊や安保があるもとで文民統制(纐纈氏の指摘もふくめて)をあえて徹底させようとするならば、大臣になれないだけでなく、そもそも自衛官経験者は国会議員に立候補することを禁止しては、とも考えてしまいます。
 これからも中谷氏や森本氏のような事例はでてくるでしょうから、それくらいやらないと意味がないんじゃないでしょうか。

 すでに就任以来の森本氏の「玄人」の立場からの発言が大きな波紋をよんでおり、とくに沖縄との矛盾を深めています。
 文民統制の意味を深めておくこと自体は大事ですが、ことさらにそのことだけをとりあげて騒ぎ立てるよりも、森本氏の危険性を事実にもとづいて徹底的に暴露し、日米同盟強化路線の阻止と安保廃棄、憲法を活かした日本を実現するという本筋にのっとった運動を旺盛に展開することの方が肝要かと思います。   (ブログ担当・吉田ふみお)