昨日は「権利はたたかいとるもの」ということにかかわって発言しましたが、関連して、2007年に私が学習援助に入った、医労連青年有志の基礎コース学習会での1コマを紹介します。
書記の方が中心なので、実践的な課題にかかわることはみなさんさすがにくわしく、その点では私の方がいろいろと勉強させていただきました。
ただ、メンバーのなかには民青で長いこと活動してきて、基礎理論はそれなりに学習してきたと自負のある人もいるのですが、そういう人も体系的な学習の経験はなく、理解が不充分なところが多いと感じました。
基礎理論は、やはり体系的に、そしてくり返し学ぶことが大事だとあらためて感じました。
学習会の様子の一端を少しだけ紹介します。
第6章、資本主義の現状についての回のときのことです(このときは9章構成の旧テキストでした)。
全日赤の書記の女性の方から、「もうけを増やすために社会保障を削るって、おかしくない?」という疑問がだされました。
正直、私はドキッとしました。
医労連の学習会ということもありますが、彼女の疑問は、多くの人びとにとって、あまりにも当たり前と思われる疑問だったからです。
少なくない人が、「そのとおり。おかしいよ」と答えることでしょう。
でも、そんなことをいったって、彼女は納得しないでしょう。
多くの人が「おかしい」と思っていることが現実に起こっている。
彼女の一番の疑問は、「おかしいことがなぜ罷りとおるの?」ってことだと私は思いました。
いろいろ議論しているうちに、彼女がこんなことをいったのに注目しました。
「社会保障がないと生活が成り立たない。そうしたら社会もダメになっちゃう?」
この言葉を聞いて、まさに「わが意を得たり!」という思いがしました。
そして、私は以下のように答えました。
「そもそも、資本主義は、『資本家が儲けさえすればよい』というのが基本にあって、そういう点からすれば、儲けの拡大に支障がない限りは、労働者・国民がどうなろうと、資本家にとってはどうでもよいことで、飢え死にしようがなんだろうが、知ったことではないだろう」。
私のこの発言を聞いたとたん、彼女の顔色が変わったのがわかりました。
間髪入れずに大きな声で、「えーっ!? そうなんですか?」――もっと驚いていたのは、彼女の大声を聞いた他のメンバーたち。
いや、一番驚いたのは私だったかもしれません。
その驚きの気持ちは、喜びの気持ちでもありました。
彼女の驚きの声が目からウロコが落ちた驚きだと瞬間的に気づいたからです。
「そっか、そういうことなんだ……」――驚きの大声に続いて、彼女はそうつぶやきました。
とても晴れやかな顔をしていたのを見て、なんだか私も嬉しくなってきました。