最終日のつづきです。
首里城をあとにした一行は、
首里城からほど近い識名(しきな)壕と呼ばれるガマへむかいました。
ガマの入口。
ガマの内部。
糸数の壕など有名なガマは、
修学旅行シーズンで予約がとれなかったので、
稲福さんにお任せしてやってきたのがここ。
ここも野戦病院だったようですが、
かなり小さい壕でしたね。
幅が狭く、
天井も低くなっている隙間を、
カラダをかがめて先にすすむと、
上の写真の所に行き着きました。
焦げ跡がありますので、
おそらく煮炊きをしたカマドのようなものだったのでしょう。
ガマをあとにし、
昼食後はさらに南下して
訪問した数少ない観光地の1つ玉泉洞へ。
玉泉洞は鍾乳洞が好きな方にはたまらない有名なスポットなのですが、
興味ない人にとってはただの長い長い洞穴。
しかも、現在はなにやらテーマパークめいたものとセットになっていて、
入場料をよけいにとられるし、
玉泉洞をでたあとは、
テーマパークなどに興味のない人が直接バスにもどろうとすると、
必ずさまざまな土産物屋をとおらなければ
駐車場にたどり着けないようになっています。
ちょっとかんべんしてほしいですね。。。(>_<)
現在は沖縄県平和祈念資料館と、
大田革新県政時代の貴重な財産として知られる「平和の礎(いしじ)」がある所です。
奥の建物が沖縄県平和祈念資料館。
左なかほどにみえる黒くて四角いモニュメントが並んでいるところが平和の礎。
平和の礎は、
国籍を問わず、
米兵でも日本兵でも民間人でも、
また名前がわからない人もふくめて、
沖縄戦当時に沖縄にいて死んだと思しき人たちすべてを
碑に刻んでいます。
これだけの人が沖縄戦の渦中にいて、
亡くなったのだということを
胸に刻んでおいてほしい。
その思想性の高さに胸を打たれます。
残念ながら、
時間と予算の関係で、
沖縄県平和祈念資料館には20分弱しか入れず、
そのあとに行ったひめゆりの塔では
塔の前で稲福さんからひめゆり部隊についての説明を受けただけで、
ひめゆり平和祈念資料館に入館することはできませんでした。
というわけで、
展示図録の写真のみです。
左が沖縄県平和祈念資料館、
右がひめゆり平和祈念資料館のです。
ひめゆりの図録は、
前日のガイド山内さんが編集協力者として名を連ねているので、
山内さんからは館に入れなくても図録だけはぜひ買ってほしいといわれていたこともあり、
多くの方が図録を買っていました。
おっと、
まだ写真の容量が大丈夫そうなので……
ていうか、
実は3日目当日、
摩文仁での撮影の途中で
デジカメが電池切れ(^^;)
というわけで、
図録の写真以降は携帯写メです。
軽くなるので、
もう少し載せられそうなので、
まずはひめゆりの塔です。
つづいて、ひめゆり平和祈念資料館の入口。
これで全日程が終了し、
一路、那覇空港へ。
途中で別れて早めに帰京した、
運営委員長のW氏一家を別にして、
全員が19:25発のJAL便に乗り、
無事に帰京できました。
とりあえず、
大まかな行程は紹介しましたが、
1回になるか2回になるかはわかりませんが、
番外篇でいくつかの写真を使いながら、
後日つづきをアップします。
ではまた。 (東京労働学校三多摩教室運営委員会)