以下の文章は、勤労者通信大学憲法コーステキストに記載されているコラムです。
いま起きている沖縄の事態を考えるうえで大前提になる基礎知識ともいうべきものです。
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憲法がおよばなかった沖縄
1945年8月15日、日本が連合国に降伏しました。
激しい地上戦を経て米軍に占領された沖縄は「太平洋諸島の最北端」と位置づけられ、「反共の拠点」としてアメリカの戦略に組み込まれることになりました。
激しい地上戦を経て米軍に占領された沖縄は「太平洋諸島の最北端」と位置づけられ、「反共の拠点」としてアメリカの戦略に組み込まれることになりました。
米軍の沖縄支配は、1945年3月27日(慶良間諸島上陸)から1972年5月14日まで、27年間におよびました。
1952年4月28日に対日講和条約が発効し、日本は「独立」しましたが、北緯29度以南の南西諸島と小笠原諸島は、この条約の第3条によってアメリカの統治下に置かれることになりました。
講和条約の第3条の内容はおおむね以下のとおりです。
「日本国は、北緯29度以南の南西諸島と小笠原諸島をアメリカを施政権者とする信託統治制度のもとにおくこととする国連へのいかなる提案にも日本は同意すること」
「このような提案がなされ、可決されるまで、アメリカはこれらの領域および住民にたいして、行政、司法、立法および司法のいっさいの権利を有する」。
ここでいう南西諸島には沖縄もふくまれます。
これを素直に読めば、沖縄はアメリカを施政権者とする国連の信託統治のもとに置かれることを前提に、その手続きが済むまでのあいだ、あくまでも一時的に、沖縄はアメリカが直接統治する、ということになるのではないでしょうか。
しかし実際には、アメリカは信託統治の手続きをしませんでした。
つまりアメリカは、ほかから干渉されることなく、戦略地域として沖縄を統治する根拠としてこのような第3条を考えだし、講和条約発行後も沖縄を自由に支配してきたのです。
終戦後、日本国憲法ができ、日本の「独立」後には沖縄は平和憲法のもとに置かれると県民は期待していました。
しかし、県民の願いはアメリカの戦略的思惑により踏みにじられてしまったのです。
1972年5月に沖縄の施政権が日本に返還され、ようやく沖縄に平和憲法が適用されました。
しかし、同時に日米安保条約が適用され、沖縄の米軍基地はそのまま安保条約下の基地として継続することになりました。
現在、米軍専用基地の75%が、国土面積0.6%にすぎない沖縄に集中しています。
沖縄では、いまも米軍兵士の犯罪や事故が絶えず、県民は安心して暮らすことができません。
沖縄は、憲法と安保の矛盾がもっとも集中的に現れている地域なのです。
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