山田敬男先生と行く沖縄実践学習旅行(その2)─東京労働学校三多摩教室
昨日に引き続き、「山田敬男先生と行く沖縄実践学習旅行」2日目の報告です。
朝9時に恩納村のホテルを出発。
国道58号を南下しながら、米軍基地・施設、観光地などを散策しました。
キャンプ・ハンセン前で解説をしてくれているのは、沖縄平和ネットワークの山内榮さん。
この日のコースは、キャンプ・ハンセン→ブルー・ビーチ上陸訓練場→読谷(よみたん)村役場→万座毛→嘉手納(安保の丘から嘉手納基地を眺望。向かいにある「かでな道の駅」の展望台と基地展示も見学)→北谷(ちゃたん)町砂辺地区(米軍住宅街)→嘉数(かかず)高台(沖縄戦激戦地の1つ。普天間基地を眺望)→ホテル(那覇)です。
ブルー・ビーチ上陸訓練場。
一見するだけだと実にキレイな砂浜。
しかし、ここも基地なんです。
ここで米兵が上陸訓練をするのです。
水陸両用車なんかも入ってくるとのこと。
ここが返還されたら、さぞかしいい海水浴場になることでしょう。
つぎにむかったのは、かの有名な万座毛。
そうです。象の鼻。とてもキレイな景観です。
ここではバスガイドさんが同行して解説してくれました。
ガイドさんの説明にはありませんでしたが、ここも昔はきちだったようでっす。
つづいて読谷にむかい、役場近くの食堂でいったん昼食休憩へ。
その後、読谷村役場を見学。
なんで役場なの?って思う方もいるかもしれませんが、
読谷村はかつて9割方が基地でした。
パラシュート降下訓練や“象の檻”の名で知られる巨大な通信施設を抱えていた読谷補助飛行場。
ここでは村をあげて基地返還闘争が精力的にとりくまれてきました。
元村長の山内徳信氏がとくにすごい。
村長自らが米軍基地に乗り込んで、元社会科教師の特性を生かし、英語とアメリカ史の知識を駆使して米軍幹部と仲良くなり、基地の返還を説得。
その結果、なんと基地のど真ん中を削り取って役場をつくらせちゃったんです。
もちろん背景には、米軍側が読谷圃場飛行場の使用価値が低まったことなどもありますが、やはりなんといっても運動の高揚がなければ、いつ返還されたことか……。
役場の敷地内には9条の碑がたっています。
残念ながら写真を撮りそびれてしまいましたが、まわりの道路は一目でもともと滑走路だったんだとわかります。
車をもっている人は、どのくらいスピードがだせるか、試してみたくなるようです。
つづいて嘉手納へ。
ここでは安保の丘や道の駅の展望台から嘉手納基地を眺望しました。
道の駅屋上展望台から眺望する嘉手納基地。
2日目の途中ですが、つづきはいずれまた。 (東京労働学校三多摩教室運営委員会)