労働者教育協会のブログ

生きにくいのはあなたのせいじゃない。

96条問題の固有の意味=立憲主義が覆されるということ

 「路傍の人」さんから、《9条「改正」反対の一致点でイメージ 1運動をつくるのか、96条「改正」反対で一致点をつくるのか、運動の側もゆれているのではないか》という疑問をいただきました。
 かなり重要な問題だと思いますので、以下、整理しておきます。
 
 第1に、9条問題と96条問題を個々バラバラにとらえず、統一的に把握することが重要です。
 96条改悪は9条改悪をスムーズにすすめるための戦略です。
 この点についてはすでにのべています(こちらをクリック)で、くり返しません。

 しかし、9条を変えることには賛成、あるいは明確な反対の意思表示をすることがためらわれるという人でも、96条を変えることには反対だという人は、実はけっこういるのです。
 我々の立場からすれば、9条改悪も96条改悪も反対ですが、運動は一致点ですすめればいいのですから、9条改悪反対の一致点ですすめる運動とともに、独自に96条改悪反対の一致点ですすめる運動にもとりくめばよいのです。
 あれかこれかの選択の問題ではないのです。
 
 そこで第2に、96条問題の固有の意味をおさえることが重要です。
 まず、日本国憲法第96条の条文をみてみましょう。

 「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
 2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する」。

 この条文は、立憲主義という考え方を徹底するためのものです。
 憲法とは、その国の制度・しくみを定めた最高法規です。
 最高法規とは、さまざまな法律のなかでも最上位の法という意味です。
 日本国憲法では第98条に最高法規の規定があります。
 政治権力に携わるあらゆる公務員は、「憲法を尊重し擁護する義務」があります(日本国憲法第99条)。
 権力に携わる者は、権力を好き勝手に使う可能性をもっているため、憲法は、権力に携わる者に「国民の基本的人権をまもる仕事をしなさい」というしばりをかけているのです。
 つまり、「国の政治は、基本的人権や民主主義を保障している憲法にもとづいておこないなさい」と、国民が権力者にたいする「命令書」として定められているのが、憲法なのです。
 このことを立憲主義といいます。

 近代以降の憲法は、この立憲主義という考え方が貫かれています。
 もちろん日本国憲法もです。

 日本国憲法第96条は、こうした立憲主義の考え方にもとづき、改正について他の法律よりも高いハードルを与えているのです。
 権力者の勝手気ままに憲法が変えられるようであれば、立憲主義ではありません。

 つまり96条改悪は、たんに本丸である9条改悪のための戦略にとどまらず、立憲主義を根本から覆すという、とても重要な意味があるのです。
 9条改悪と同じくらいか、あるいはそれ以上の重みをもつかもしれません。

 9条問題では立場が異なっていても、96条問題は、多くの憲法学者が一致できる課題です。
 あえて踏み込んでいえば、立憲主義を認めない者は憲法学者ではない、ということかもしれません。

 9条問題と96条問題を統一的にとらえるとともに、それぞれの固有の意味をもきちんとおさえることが重要になってきていると思います。〈Y〉