労働者教育協会のブログ

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60年安保闘争と安保共闘─共産党オブザーバー参加問題をめぐって①

 今日から「60年安保闘争と安保共闘─共産党オブザーバー参加問題をめぐって」というテーマで、全4回にわたって連載します。
 もともとは4年前に憲法コース受講生からの質問への解答として書かれた文章ですが、統一戦線のあり方や現代における安保問題のとりくみを考えていくうえでも大事な問題だと思いますので、解答者の許可を得て、若干修正したうえでブログにも掲載します。

 
※以下、連載文
 
 
《統一戦線のあり方からみた安保共闘》
 
 安保改定阻止国民会議(安保共闘)は、1959年3月28日に結成されました。
 安保共闘には最終的に138団体が結集しました。
 日本共産党は正式な幹事団体にはなれず、オブザーバーとして事務局に参加しました。
 ただし、ときどき誤解されている方がいますが、参加団体としては共産党は正式メンバーです。
 オブザーバーは、会議に参加して発言することはできますが、議決権をもっていません。

 安保共闘をみる場合、統一戦線のあり方について押さえておく必要があります。
 統一戦線とは、異なる政治的理念や綱領を持つ諸政党、目的や正確を異にする諸団体、さまざまな考えをもつ諸個人などが、共通の政治目標の実現をめざして、たたかうためにつくられた持続的な共同闘争の体制・組織のことです。
 統一戦線の結成にとって重要なのは、共通の課題と共同の意志を出発点とすることであり、体制・組織を構成する政党、団体や個人それぞれに対等・平等の立場が保障されることです。

 安保共闘は60年安保闘争のなかで生みだされた持続的共闘体制=統一戦線組織ですが、社会党が「共産党と一線を画する」という方針に固執して共産党の幹事団体への正式参加に反対し、共産党は幹事団体会議にはオブザーバー参加となりました。
 このように共闘のあり方において対等・平等という点で弱点があり、この弱点は安保闘争が終わるまで解決されませんでした。
 なお、社会党はその後、綱領に反共主義を残しつつも、60年10月の大会において、「共産党と一線を画する」という方針を公式にはずしました。

 そういう弱点を抱えてはいましたが、安保共闘は、戦後はじめて中央段階で結成された、社会党共産党、民主諸団体による持続的共闘組織であり、計23回の統一行動がおこなわれるなど、安保闘争において指導的役割をはたしたのです。
 この背景には、1950年代の基地闘争、勤評闘争、警職法改悪反対闘争などにおける地域共闘の積み重ねがあり、また原水爆禁止運動や母親運動など新しい国民運動の高揚がありました。(つづく)