労働者教育協会のブログ

生きにくいのはあなたのせいじゃない。

質問解答─社会が法則的に発展するのなら、寝ていてもよいのでは?

《質問》

 基礎コーステキスト148ページ「考えてみる問題」の解答はないのですか。
 とくに②「『社会が法則的に発展するなら、何もしなくて寝ていてもよいのでは』という意見をどう考えたらいいでしょうか」について答えたらよいか、でてきません。
 
 
《解答》

 「考えてみる問題」の解答はとくに用意していません。
 これは、学習会での討論のテーマとして、あるいは独習のさいにテキストの内容を深めるさいに、こういう問題を考えてみたらどうかという、いくつかの例示です。
 もちろん、事務局に問い合わせていただければ解答致します。

 ご質問は、148ページの「考えてみる問題」の②「『社会が法則的に発展するなら、何もしなくて寝ていてもよいのでは』という意見をどう考えたらいいでしょうか」についてです。
 くわしくはテキストを読んで深めてほしいのですが、この設問は大きくは第2章「社会のしくみとその歴史」全体、つまり史的唯物論について深めるためのものです。

 より直接的には、100~102ページの「社会・歴史観の誤ったとらえ方」にかかわります。
 ここでは、人間の行動は意識をともなうのだから、「人びとの行動の動機や目的、つまり意識から社会の成り立ちや歴史の動きを理解しようとする考え方」がでてくるが、これは観念論的な歴史の見方であり、まちがいだ、と説かれています。
 そのうえで、「たしかに人びとの意識は社会のしくみや歴史を動かします。しかし、大事なことは、意識のレベルで立ち止まってしまうのではなく、さらにさかのぼって、あれこれの意識が何によって引き起こされているのか、これらを規定しているものは何か、を明らかにすること」を強調し、これこそが唯物論的、弁証法的な社会・歴史観だとしています。

 自然に法則があるということについては、ほとんどの人がわりと素直に受け入れると思います。
 しかし、人間関係の総体である社会の場合、人間の意識がともなうため、法則というものがみえにくくなっているのかもしれません。
 ですから上記のような観念論的な歴史観・社会観がでてくるのでしょう。

 しかし、これとは逆に、社会の法則を認めた場合でも、「考えてみる問題」②のように、「社会が法則的に発展するなら、何もしなくて寝ていてもよいのではないか」というふうに考える人がでてきます。
 これは、社会の法則を自然の法則と同列にとらえることからくる誤りです。
 社会の法則は、人間自身の実践をとおして貫徹されるという点で、自然の法則とはちがいます。
 社会を変革するための人間の実践が弱ければ、社会は一時的に後退するということがありえますし、現にそういうことがあるのです。
 社会は、そういう一時的な後退をふくみこみながらも、人間自身の実践をとおして、最終的には発展の方向が貫かれているのです。

 テキストではこのことをさらに突っ込んで、「階級闘争こそが社会発展の原動力」であることを明らかにしています(124~130ページ)。
 階級闘争はまさしく人間自身の実践です。しかし同時に、歴史的・客観的条件を抜きにしてたたかいだけを強めればいいというものではありません。

   「生産力と生産関係の矛盾が激しくなるにつれて、社会の変革を可能にするような歴史的・客観的条件を成熟させていくのです。階級闘争はこのような現実の条件の成熟を背景にし、またそれにつき動かされながら進行します。そして、革命諸勢力が支配階級・搾取階級に勝利することによって、発展した生産力に照応するより前進した生産関係をもつ社会への道が切りひらかれ、その結果として社会発展が実現していくのです」(128ページ)。

 つまり、「生産力と生産関係の矛盾」という「歴史的・客観的条件の成熟」を「背景にして」、階級闘争という人間の実践が進行し、「社会発展への道が切りひらかれ」ていくということです。「階級社会での歴史発展の原動力が階級闘争」であり、「働く人びとこそが歴史を真につくる人びと」(130ページ)、すなわち歴史・社会の主人公なのです。

 社会の法則が自然の法則とちがい、人間自身の実践によって貫徹されるということを、よくおさえてくようにしましょう。  (勤通大事務局)