労働者教育協会のブログ

生きにくいのはあなたのせいじゃない。

安保学習をひろげるために

 本日午前、総学習運動プロジェクトの会議を開催しました。
 先月の会議で、情勢論議をふまえながら、今年1年をにらんでの活動の方向性を議論しました。

 そのことをふまえて、今回の会議では、具体化の一環として、『学習の友』の連載講座や特集企画、また別冊を総学習運動で組むとしたらどういう企画がありうるか、などについて議論しました。
 学習誌ですから、それなりにかっしりした論文も1~2本程度必要なのですが、手記などもう少し気軽に読めて、しかも学習になる、という誌面も必要ですから、いろいろと工夫する必要があります。
 とくに別冊では、活動家になったばかりの青年を対象とした座談会をひらき、テーマをしぼりながら、そもそも論を青年の気持ちや問題関心に寄り添ったかたちでアプローチできないか、といったことについても意見交換しました。

 柱立ての中心には、この間取り沙汰されている立憲主義集団的自衛権、「教育再生」やメディアのあり方(NHK問題などを意識)、安倍や田母神を「支持」する青年の意識動向(本当に「右傾化」なのか)などといったあたりが座ることになるだろうということは、おおむね一致できたかと思います。
 そのことをふまえたうえで、先ほどでた座談会をやる場合には、「なぜ人を殺してはいけないのか」「戦争はなぜなくならないのか」などといった根源的な問題にまで掘り下げることも大切だということも指摘されました。

 立憲主義にかかわる問題では、いわゆる「きめられない民主主義」のことが関連して議論になりました。
 その本質は、「多数決による専制政治」ではないかとの指摘も。
 この「多数決」という問題は、2006年の憲法特別コース発足以来、立憲主義の問題と並んで、意外と学習会などで「目からウロコが落ちた」というような反応が多い問題です。
 民主主義にとって多数決は重要だが、それはあくまでも手続きの1つであって、民主主義の核心は国民主権にある、ということが、若い人たちにとっては新鮮に映るようです。
 実際、学校現場などをつうじて「民主主義=多数決」といった感覚はかなり刷り込まれていると思います。

 このように、青年自身の疑問や問題意識に寄り添いながら、憲法学習ともに、改憲の背後にある安保問題の学習をどうやってひろげていくかということも、あらためて議論になり、当面、中央青学連との懇談の具体化を追求することになりました。

 総学習運動、とくに安保学習をひろげていくための課題はまだまだ山積しているし、壁もけっして薄くはないですが、基地問題原発問題、TPP問題など、安保の弊害がさまざまな側面からみえやすくなってきているだけに、安保学習をひろげるチャンスが来ているともいえます。
 そしてそうであるがゆえに、さまざまな工夫も凝らしながら、安保学習をひろげていく努力を積み重ねていくことがたいへん大事だと思います。
 今後も各方面の協力を得ながら、憲法学習と結びつけながら、安保学習をひろげていきたいと思います。 (総学習運動プロジェクト事務局)