労働者教育協会のブログ

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敵基地攻撃力を検討─新防衛大綱中間報告

 26日(金)の発言で、安倍政権による集団的自衛権についての政府解釈を変更する企みについて言及しました。
 奇しくも同じ26日(金)に、防衛省は新防衛大綱の中間報告を発表しています(『東京新聞』記事『朝日新聞』記事『しんぶん赤旗』記事を参照のこと。『朝日』記事は無料会員登録をすれば全文閲覧できます)。
 集団的自衛権の問題には今回は触れていませんが、歴代政府が日本国憲法の平和原則との「兼ね合い」をはかって「専守防衛」としてきた自衛隊の役割さえをも大きく踏み外す重大な内容が盛り込まれています。
 すでに2004年の防衛大綱で、それまで「付随的な任務」と位置づけられていた海外派遣を自衛隊の「本来的な任務」に格上げしていますが、今回の中間報告は、いわばその内容の一端が具体的に明らかにされているといえます。

 第1に、戦闘機やミサイルなどで敵の発射基地をたたく「敵基地攻撃能力」の保有を本格的に検討しようとしている点です。

 《歴代内閣は敵基地攻撃は自衛のためなら合憲と国会で答弁してきた。だが、自衛隊にその装備はない。日本有事の際、相手を攻撃する「矛」は米軍、防衛する「盾」は自衛隊が担うが、安倍晋三首相は日米の役割分担の見直しに意欲的だ。
 防衛省では北朝鮮が数年で核弾頭を持つ可能性が高いと分析。米軍の予算削減による東アジアでのプレゼンス低下も視野に敵基地攻撃能力保有を検討している。同省幹部は「核爆弾が落ちれば大打撃なのに、米国にお願いしますと言ってる場合ではない」と語る。》(『朝日』記事より)

 そもそも、なぜ敵基地攻撃力をもつことが「自衛」なのか、理解に苦しみます。
  「自衛」というのであれば、自国の領土が受けた軍事攻撃からの防御ということでしょうから、「敵」の基地にまで乗り込んで攻撃するというのは、明らかに「自衛」の範囲を超えています。
 まあとはいっても、過去のさまざまな戦争が「自衛」を口実に開始され、エスカレートしていったことを考えれば、いくらでもこの種の議論は起きうるのだとも思います。
 ただ、『朝日』も、上記の引用につづけて、以下のように疑問をのべています。

  《もっともハードルは高い。まず、違憲となる先制攻撃との線引きだ。北朝鮮が攻撃の意図を明示してミサイルを発射台に立てれば、攻撃着手とみなし基地を攻撃できるとの政府答弁はある。しかし、挑発か本気かを見極め、攻撃に踏み切るのは困難な判断だ。》

 すでに先ほどのべたことだけでも「自衛」の境界があいまいなのですから、実際に戦闘行為に踏み込んださいに、客観的なものさしを設けるのはきわめて困難と思われます。
 要するに、「やったもん勝ち」状態になりかねません。
 結局のところ、武力にたいして武力で対処しようというのは、核兵器という皆殺し兵器までをも生みだすことになってしまったように、軍拡競争の悪循環をエスカレートさせるだけで、何の解決にもならないことは、歴史が証明していることです。
 さらに『朝日』は、アメリカの戦略との整合性についても言及していますが、詳細は直接記事にあたってください。

 第2に、自衛隊に「海兵隊的機能」を整備させようとしていることです。
 中間報告は、自衛隊を《「島しょ部攻撃への対応」を口実に……海から敵地にも上陸侵攻できる“殴り込み”部隊化》することを提起しています(『赤旗』記事より)。
 前記の敵基地攻撃力と同様に、「専守防衛」の枠を飛び越えて、海外派兵型「軍隊」への脱皮をめざしていることは明らかでしょう。

 中間報告はさらに、自衛隊海外派兵恒久法の検討や武器輸出禁止3原則をさらに緩和させる方向も打ちだしていることです(『赤旗』記事より)。

 このような中間報告で打ちだされた内容が具体化されていけば、集団的自衛権行使の容認とともに、明文改憲をする前に、自衛隊を実質的な海外派兵型「軍隊」に変質させることとなり、憲法第9条は形骸化、死滅化することになります。
 さらに明文改憲の実現でとどめが刺される、ということになってしまいます。

 そのようなことを許さないために、憲法や安保についての学習を深め、私たち1人ひとりが憲法の「語り部」としての力をつけ、政治的力関係を根本から転換させる必要があります。
 勤通大憲法コースの受講をはじめ、学習の友社刊行の関連書籍をぜひご活用ください。〈Y〉