労働者教育協会のブログ

生きにくいのはあなたのせいじゃない。

山田敬男先生と行く沖縄実践学習旅行(その4)―東京労働学校三多摩教室

 お待たせしてすみません(^^;)
 2日目のつづきをアップします。
 
 2日目最後に訪れたのは、宜野湾(ぎのわん)市の嘉数(かかず)高台公園。
 嘉数は沖縄戦激戦地の1つで、ここには地球を模した展望台があります。
 
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 高台というだけあって、この展望台にたどり着くのにも坂をかなり登っていく必要があります。
 
 この展望台は3階建てになっています。
 1番上に行くと、普天間基地が眺望できます。
 
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 これだけではわかりにくいと思うので、
 宜野湾市ウェッブサイトから写真を拝借しました。
 
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 ご存知の方もいるかと思いますが、
 普天間基地は密集市街地に囲まれ、
 宜野湾市の中央部(市の面積の4分の1)を占拠しています。
 
 以下、宜野湾市ウェッブサイトの説明です。
 
 「戦前、この地域は数集落が点在する、さつまいも等の栽培が行われていた、のどかな農村地帯でした。しか し、1945年4月に米軍による沖縄占領と同時に接収され、米陸軍工兵隊が本土決戦に備えて滑走路を建設し ました。

 戦争が終結し、避難先や収容所からこの地へ帰郷すると、そこには昔の面影もなく、米軍の前線基地が建設 され、立ち入り禁止地域になっていました。
 
 その後は基地の周囲に張り付くように、無計画に住宅が建設されました。その結果、いびつな街がつくられ、  今日に至っています。
 
 強制接収後、数回に渡り基地の形態は変わりましたが、1972年の沖縄返還に伴い、国の提供施設・海兵隊  普天間基地として使用されることになりました。
 
 沖縄県外の米軍基地がほとんど国有地であるのに対し、県内の基地のほとんどが市町村有地や民有地で占 めています。
 
 普天間飛行場も面積の約92%が民有地であり、跡地利用計画においては地権者の合意形成が 重要である  と考えられています。」(http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2581/2655/2685/1608.html
 
 
 写真でみるだけでも異様ですが、
 現地に行って実際に眺め
 山内さんの解説を聞くことで、
 その超危険な立地ぶりが実感でき、
 怒りがこみあげてきました。
 
 そもそ基地自体がいらない!
 とくにこんな超危険な普天間基地は即時撤去しかないとの思いを新たにしました。
 
 
 これで2日目の基地散策は終了しました。
 いったんホテルに行き、あとはグループごとに自由行動。
 それぞれに楽しんできたようです。
 ホテルに戻ってきてからは、例によって有志で2次会が。
 一番遅い人たちは夜中の1:00過ぎまで語り合いました。
 
 そして、いよいよ最終日ですが、日をあらためて報告します。  (東京労働学校三多摩教室運営委員会)