労働者教育協会のブログ

生きにくいのはあなたのせいじゃない。

物質と精神の正しい関係は?─勤通大国分寺サークル

 7月9日(土)夜、勤通大国分寺サークルの学習会が国分寺労政会館でひらかれました。
 今回は基礎コースを学習します。

 東京労働学校三多摩教室の関係者を中心に、以前は『学習の友』学習会とともに勤通大サークルも活発にひらいていたのですが、教室への参加人数の減少、とくに青年の参加が極端に少なくなったこともあり、近年は教室をひらくのがやっとという状況がつづいていました。

 今回、ひさしぶりに勤通大サークルをひらくことができ、うれしく思います。

 1回目は第1章「ものの見方・考え方の基本」を学習しました。

 4人の参加者は勤通大についてはけっこう学習してきているか、あるいはベテランの活動家でかつては学習したというメンバーなので、内容の理解自体は比較的スムーズにすすんだと思います。

 一番議論になったのは、唯物論と観念論の対立という哲学の根本問題について。
 このテーマは、案外、短絡的にとらえられる場合があり、たとえば、「哲学には唯物論と観念論の2種類あり、唯物論が正しくて、観念論はまちがっている」というように。

 唯物論の考え方がストレートに入りにくくなっている現状があります。
 また、唯物論とか観念論という言葉自体、聞いたことがないという人も増えています。

 そんななかで、いきなり先ほどのようにいってしまっては、初学者からすれば???でしょう。

 議論のなかで強調されたことの1つは、「大事なことは、物質と精神の関係を正しくとらえること。言動の1つひとつを『唯物論か観念論か』と裁断することが目的ではない」ということ。

 また、「唯物論こそ心を大切にする」という点も、注意が必要だという指摘もありました。
 この命題自体は正しいのだが、この点ばかりをやたらと強調すると、観念論がすりこまれた頭で聞いていても、「自分はそうは思わない。あなたとは意見がちがう」といわれて、それっきりということになりかねません。

 ここでも大事なことは、やはり客観的事実である「物質と精神の正しい関係」をきちんと認識することであり、「唯物論こそ心を大切にする」というのは、そうした唯物論の定義・本質論から派生することだということ。
 単純に唯物論と観念論のどちらが正しいか、としてしまうと問題の矮小化になる、と。

 観念論は、精神(心)を現実からきり離して、一面的に強調するところに問題がある。
 つまり、「物質と精神の関係」を正しくとらえていない、というわけです。

 それなりに学習や実践経験を積んできた方ばかりでしたが、あらためて新鮮な気持ちで、唯物論と観念論について学習でき、晴れ晴れとした顔をしていたように思います。

 次回は9月17日(土)18:30から開催します(会場未定)。
 参加希望者は勤通大gakusyu@po.jah.ne.jpまで連絡願います。  (国分寺サークル運営委員・手塚純一)