以下の文章は、勤通大基礎コーステキストに「注」として掲載されている文章です。
テキストの魅力の一端を知っていただきたいと思い、本ブログでも紹介します。
タイトルを少し変え、文章も少し修正しました。
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「自己責任」か「企業の社会的責任」「国家の責任」か
「自己責任」論は、就職難や失業や病気なども個人の責任にしてしまいます。
これは、人間(労働者)と社会(企業)の現実をありのままにとらえないで、なんでも個人の責任にしてしまう観念論的な議論です。
またそれは、人間をバラバラに切り離してとらえる反弁証法的な議論です。
今日の日本の就職難は、企業が正規雇用を減らして、それを非正規雇用に置き換えているからです。
労働者が失業するのは、企業が解雇するからです。労働者個人に本当に重大な責任がある場合は懲戒解雇になりますが、そんなことはめったにありません。
解雇の理由の多くは、企業の倒産や経営不振、企業の利潤追求を目的とした「人減らし」です。
また、労働者が病気になる原因の多くは、長時間労働や職場環境の悪さ、パワハラなどによる精神疾患などです。
これらの就職難や失業や病気などの多くは、けっして労働者の「自己責任」ではなく、「企業の社会的責任」です。
現代の企業は社会的に大きな力をもっていますから、労働者の雇用や健康などをまもる「社会的責任」があります。
また国家は、企業の違法な「サービス残業」を禁止したり、企業が正規雇用を増やすしくみをつくる責任があります。
また企業も負担する失業保険や健康保険などを充実させる責任があります。
これは「国家の責任」です。
今日、「自己責任」論がひろめられているのは、このような「企業の社会的責任」や「国家の責任」をあいまいにするためです。
私たちは、人間と社会の現実をありのままに、唯物論的にとらえ、また人間と社会をバラバラにではなく、相互に連関しあい変革できるものとして、弁証法的にとらえることが重要です。
こうして「自己責任」論を克服する必要があります。
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