労働者教育協会のブログ

生きにくいのはあなたのせいじゃない。

「権利宣言型」労働協約と「アメリカ型」労働協約

 2016年度労働組合コースに、以下のコラムを掲載しました。
 以前のテキストにはあった記述なのですが、全面改訂の過程で分量の関係もあり、入りきらなかったものです。
 もとのテキストの文章を下敷きに、コラムとしてまとめました。

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コラム 「権利宣言型」労働協約と「アメリカ型」労働協約
 1945年、敗戦と同時に、わが国の労働者はたたかいに立ちあがり.憲法労働組合法ができる以前に、労働組合を再建し、ストライキを武器にした闘争で労働者の基本的権利と行動の自由を保障した労働協約をかちとりました。

 その労働協約は、せいぜい10ヵ条程度の簡単なもので、たとえば「使用者は組合活動の自由を認め、当組合との団体交渉をおこなう」「組合員の解雇その他人事異動については、本人と組合との同意を要す」など、労働者と労働組合の権利を保障する内容のものです。
 そのなかには、 組合活動や政治活動の自由、争議権の行使を制限するような項目などはまったくありませんでした。
 これを「権利宣言型」労働協約とよんでいます。

 しかし、アメリカ占領軍は、1949年、日本政府に労働組合法の改悪を命じ、この改悪によって、労働協約のなかにとりきめた期限以後は、使用者側が一方的に破棄通告をおこなえば.その労働協約は失効するという規定をもうけ、それによって独占資本はアメリカ占領軍の援助のもとに、「権利宣言型」労働協約を一挙に破棄してきました。
 こうして「無協約状態」をつくりだし、1949~50年にかけて、アメリカ占領軍と日本政府、財界は、行政機関職員定員法.定数条例、企業整備などで23万人余の首切りをすすめ、さらに共産党員、組合幹部、活動家などを職場から追放する、いわゆるレッドパージをおこないました。

 そうした階級的な力関係の変化のなかで、アメリカ占領軍の主導のもとに、労働協約締結運動が推進され、「アメリカ型」労働協約が各企業にもちこまれ、その後のわが国の労働協約の原型となりました。
 その特徴の第1は、100ヵ条にもおよぶ条文をもち、労使双方の権利・義務が詳細に書かれていることです。
 第2は、経営権を使用者の専権事項とし、人事事項および経営事項への組合のかかわりを排除していることです。
 非組合員の範囲も拡大されています。
 第3は、「職場秩序の確立」のため、就業時間中の組合活動が原則として禁止され、また企業内の政治活動も全面的に禁止ないし大幅な制約のもとにおかれていることです。第4は、争議権の行使にもさまざまな大きな制約が課せられていることです。

 その後、1952年以降、労働組合運動は組織の強化をめざすとりくみとともに、「アメリカ型」労働協約を打破する新しい労働協約闘争を展開し、部分的には一定の改善をかちとりましたが、いまだにこうした特徴を変えさせるまでにはいたっていません。

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