24日に「『国民連合政府』構想と統一戦線」という記事を書きましたが、いくつか疑問・質問をいただきましたので、少し補足します。
前回記事の趣旨は、統一戦線の出発点が「共通の要求、共同の意志」にあり、政党間関係は大事だが、「共通の要求、共同の意志」から切り離してはならないということ、今回の共産党の提起も、こうした統一戦線論の原則的立場から理解すべきだ、ということです。
今回の共産党の提起でいえば、統一戦線の出発点となる「共通の要求、共同の意志」とは、「『戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府』の実現をめざす」ことです。
たんなる選挙協力の呼びかけではなく、具体的な政権構想での一致をもとめていることに特徴があります。
ところが、志位さんの記者会見での記者たちの質問をみると、たとえば「こうした選挙協力を具体的に言及したことは初めてですか」という質問にみられるように、「選挙協力」が前面にでており、政権構想についてはあたかも「刺身のツマ」であるかのような扱いです。
この点にもかかわりますが、必ずしもこの記者会見のことではないと思いますが、当の志位さんも以下のようにのべています(25日の国会議員団総会でのあいさつより)。
《私たちの「提案」に対して、メディアでは、「選挙協力」という角度からの報道が多いのですが、この「提案」というのは単なる選挙協力の呼びかけではありません。「戦争法廃止の国民連合政府をつくろう」という政権構想をお示ししたというところに、私たちの「提案」の一番の要があるということを強調したいと思うのであります。》
今回の共産党の提案が、「一党一派の利害得失」にあるのではなく、戦争法廃止という「国民的大義」=「共通の要求、共同の意志」から出発しているのだということをきちんとおさえないと、「共産党が他党と選挙協力なんてめずらしい」という程度に矮小化した受け止めになりかないということを、肝に銘じておく必要があります。
基礎理論というのはものごとを考えるさいの土台ですから、何度でも立ち返る必要があるものです。
基礎理論を抜きにして、現象面のみ、表面的なとらえ方をしてしまえば、本質を見誤ってしまいます。
また、何でも基礎理論でもってキレイに説明することが大事なのではなく、基礎理論を土台、出発点としながら、いま目の前で起こっている現象の本質をつかみ、自らの行動の指針としていくことこそが大事なのだと思います。
前回記事では、「もちろん政党の組合せは大事ですが、政党間関係を後景に追いやるような統一戦線論の理解のしかたも少なからず見受けられるような気がします」ということものべています。
これは、現実の情勢や政治の動きとは関係なく、とにかく「スジをとおす」と同時に、柔軟に「一点共闘」を追求していきさえすればいいんだ、という傾向にたいする戒めです。
このように表現すれば、「そんなこと当たり前だよ」といわれるかもしれませんが、これは現実の行動がこのようになってしまってはいないかを常に自己点検する必要があるということです。
また同時に、「政治的立場のちがう政党となんか、簡単に協力できるか」という声も見受けられますし、「一点共闘」の積み重ねとひろがり、緩やかな結合といった運動の進展があるもとで、選挙では小選挙区効果もあって自公与党が「圧勝」するということがこの間つづいています。
こうしたことも、ただ「スジをとお」しながら現場で「一点共闘」をがんばりさえすればいいという段階ではなくなってきている、機は熟してきていることを示しています。
今回の共産党の提案を歓迎する声の大半は、きちんと政権構想との関係をとらえていると感じますが、なかには「何でもいいから自公を引きずりおろしたい」という声もあり、気持ちはわかるのですが、じゃあ民主党政権の教訓はどう考えるのか?
さまざまな模索と探究を経て、今回の提案があるのだということを、きちんとおさえておきたいものです。
そのためにも、くり返しになりますが、基礎理論と現実との対話を不断につづけていくこと、そのことを自らの活動の指針としていくことが大事なのです。
私たちは、これからも基礎理論学習を握って離さないで、がんばっていきます。 〈Y〉
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安倍戦犯内閣打倒!