労働者教育協会のブログ

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「経済的後進性を軍事力でカバーする」とは─質問回答より

 憲法コース受講生からの質問と回答を掲載します。

Q:「経済的後進性を軍事力でカバーする」(テキスト74ページ)とはどういうことでしょうか。軍事力を高めても経済力と結びつかないような気がするのですが、基幹産業として軍事産業を位置づけるということでしょうか。

A:
 国家、とくに近代国家が戦争するには、必ずといっていいほど経済的な理由があります。近代日本が戦争をつづけた理由は、テキスト74~76ページに簡潔にまとめてありますので、あらためて引用しておきます。
 「なぜこのように戦争を続け、植民地化をすすめたのでしょうか。第1に経済的後進性を軍事力でカバーするために、富国強兵策のもとで日本の軍事大国化が急速度で進行したことであり、第2に、国民の貧困からくる国内市場の狭さを補うために、韓国や中国などのアジア市場を独占的に『力』で確保する必要があったことであり、第3に、アジアの『帝国主義秩序』を脅かす民族運動を抑圧する必要があったからといえます。そのために、何よりも軍備の拡大が優先され、いっかんして対外膨張戦略がとられ、欧米諸国と一面で協力し、他面で対立しながら、アジア諸国を侵略し植民地を増やしていきました。この軍事大国化と対外膨張戦略を支えたのが明治憲法でした」。
 この3点、とくに第1と第2は直接的に結びついています。明治維新によって成立した新政府は、経済力の発展と軍事力の発展を一体のものとしてすすめ、「欧米諸国と一面で協力し、他面で対立しながら、アジア諸国を侵略し植民地を増やしてい」くことで、近代化をすすめていったのです。当然、侵略されたアジア諸国からは抵抗がありますから、それを「抑圧する」ことも不可避となります。
 これをふまえて、日本の近代戦争史を簡単に振り返ってみます。国民が貧困にあえいでいたために国内ではなかなかモノが売れず、侵略先のアジアは日本経済にとっては重要な市場となりました。欧米列強も日本の朝鮮・中国侵略を黙認しながら、日清戦争での日本が勝利すると、欧米列強も中国国内に侵出していきます。さまざまな駆け引きがありつつも、おおむね第1次世界大戦(1914~1918年)後~1920年代までは、日本は欧米列強との決定的な対立を避けながら朝鮮・中国に侵出することができました。
 欧米との対立が問題になってくるのは、1931年の「満州事変」のあたりからです。「満州事変」は、1931年9月18日、関東軍中国東北部に駐留していた日本陸軍)は、中国の奉天郊外の柳条湖で満鉄線を爆破し、これを中国軍のしわざだとして軍事行動を開始しました。当時の政府は不拡大を表明しましたが、関東軍朝鮮軍(植民地朝鮮に駐屯していた日本陸軍)はそれを無視して全満州の軍事制圧をめざして戦線を拡大していきました。このように政府と現地軍とのあいだに外交政策上の対立が生じたのです。政府としては、ワシントン体制(1921~22年にワシントン会議での合意にもとづく国際協調体制)のもとで国際協調外交をすすめることが得策だと考えており、満州での軍事行動が列強とくにアメリカとの対立を激化させることを恐れていたのです。
 しかし、政府と天皇は結局、この軍事行動を追認し、経費支出を承認します。こうして既成事実がつくられ、軍部の強硬な態度に押されて、政府や宮廷グループ(天皇の側近グループ)は中国への軍事的膨張、戦争拡大への道をひらいていったのです。
 日本軍は「満州」の主要都市を占領し、傀儡国家「満州国」建国を宣言します。その後、「満州」に隣接する華北への膨張をめざし、1937年7月、廬溝橋事件をきっかけに日中全面戦争に突入します。戦線が上海や南京に拡大するなかで、南京事件三光作戦に代表されるような大虐殺がおこなわれます。しかし中国軍の思わぬ抵抗にあい、戦争が泥沼化すると、中国での権益をまもるべく米英ソが中国支援に乗りだします。日本軍は諸外国からの中国への援助を断ち切るべく南下(フランス領インドシナへの進駐など)しますが、経済制裁措置をとられるなど、欧米諸国との対立をさらに深めるという悪循環に陥ります。アジア太平洋戦争は、結局のところ、中国への軍事侵略を拡大し泥沼に陥るなかで開始されたのです。
 日本の戦争目的にかかわって触れておかなければならないのは、「大東亜共栄圏」についてです。つまり、「大東亜共栄圏」をつくってアジアを欧米の植民地支配から解放し、「共存共栄」の「大東亜新秩序」を建設するというのが、日本支配層の大義名分でした。しかし、当時の公文書をみれば、これがウソであったことは明らかです。
 東南アジア占領の基本目的・基本方針を定めた大本営政府連絡会議の「南方占領地行政実施要領」(1941年11月10日決定)では、「占領地に対して差し当り軍政を実施し、治安の恢復、重要国防資源の急速獲得及作戦軍の自活確保に資す」といっています。つまり、石油などの「重要国防資源の急速獲得」こそが戦争と占領の目的だったのです。そして占領地の住民は、資源の開発・生産のための労働力として日本軍に酷使されたのです。また、日本軍の「自活確保」のために膨大な食糧も提供させられたのです。アジアの民衆を解放するどころか、「国防資源取得と占領軍の現地自活の為、民生に及ぼさざるを得ざる重圧は之を忍ばしめる」といっていたのです。
 もちろん、ご指摘の軍需産業の位置づけも重要です。財閥が支持しなければ財政的(戦時公債の買い入れなど)に戦争を継続することはできなかったし、兵器を生産しつづけなければ戦闘そのものがなりたちません。なお少し古い話ですが、1998年に政党助成法違反や受託収賄罪などで逮捕された、自民党衆議院議員だった中島洋次郎(01年1月に首つり自殺)は、戦争当時の有名な軍需産業中島飛行機(のちの富士重工業につながる)創業者の孫にあたります。戦争をしないと誓った日本国憲法のもとで、戦前の軍需産業につながる人物が政治家として活動できるところに、戦後民主改革の不徹底さをみることができます。
 なお、近代日本の戦争についてくわしくは、山田敬男編著『日本近現代史を問う』(学習の友社)、山田敬男著『新版 戦後日本史』(学習の友)第1章などをご参照ください。

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