労働者教育協会のブログ

生きにくいのはあなたのせいじゃない。

戦前の労働学校と『資本論』─東京労働学校三多摩教室のニュースより

 以下に掲載する文章は、東京労働学校三多摩教室の第119期スーパー経済学教室(2013年5月~2014年3月)開校中に、教室ニュースに掲載されたものです。
 教室運営委員会の許可を得て、本ブログにも転載します。
 なお、あくまでも一学生の文章であり、三多摩教室としての、また労教協の見解でもないことを付記しておきます。
 
 
戦前の労働学校と『資本論
 
 いまからほぼ90年近く前の労働学校でも、マルクスの『資本論』を学ぶ教室がひらかれていました。そこではさまざまな困難を抱えながら労働者たちが熱心に学んでいました。そんななか、労働者たちから次つぎだされる質問の大半が「マルクスの科学的視点で日本の歴史や現状をみたらどうなるのか?」というような内容の質問ばかりでした。どの労働者も過酷な自己の現状を変革しようと、さまざまな困難のなかでも学んでいるわけですから、どうしても実践的な視座をもとめるようになるのだと思います。そこに主体的に学ぶ学生の姿勢がみてとれます。
 同時に「さすが」と思わせるのは、それらの質問に誠実に答えるために創意的な研究をおこなった講師、若き日の野呂栄太郎の研究熱心さでした。それまでの日本のマルクス経済学でも、日本が史的唯物論のどの段階にあるかを機械的に当てはめる試みはありました。資本主義か、半封建か、帝国主義の段階か、などの機械的評価はありました。しかしそれらとはちがい、野呂は日本の歴史そのものを研究し直し、日本の内在的発展の法則をつかみとろうとしたのです。もちろんいまからみれば歴史的限界はかなりあると思いますが、ともかくも「日本資本主義」とは何かを科学的視点で日本人自身が独自の研究をおこなった最初の試みであったことはたしかです。その研究の成果は後に野呂の単著『日本資本主義発達史』や集団的労作『日本資本主義発達史講座』として集大成され、日本の科学的歴史観の先駆ともなるわけです。
 野呂のこうした研究はコミンテルンによる「27年テーゼ」より早い時期に骨格がまとめられたものであり、「32年テーゼ」よりも前にすでに体系が完成していたなど、日本の独自の学術研究の成果の高さを示しているものといえます。野呂はコミンテルンの政治的思惑とはまったく関係なく研究を深めます。そのことはコミンテルンが1931年に一時的に従来の方針を転換し、日本は発達した資本主義なのだから、当面する革命は社会主義革命だという見解をだしたさいにも野呂や、野呂と共同して研究をおこなっていた人びとは、そうした変更を意に介さず研究をすすめたのです。その背後には、冒頭でのべたように労働学校での労働者の社会変革の思いに答えたいという強い思いがあったわけです。
 もし上記のような労働学校でのやりとりがなかったとしたならば、あるいはまたもし野呂が学生の質問の背景にある思いに誠実に答えようとしなかったならば、日本の歴史認識と革命路線はモスクワからの輸入品ということになってしまったかもしれません。そう考えると労働学校のもつ歴史的意義は大きいと思いますし、いま私たちは当時と同じ『資本論』を学んでいるわけですが、「学び方」についても当時の人びとに学ばないといけないなとも思います。
 なお先日発売された不破哲三著『古典教室』第1巻には、DVDにはなかった野呂たちの理論活動についても加筆がされています。『資本論』理解のためにも合わせて購読されることをおすすめします。 (K・N)