受講生からの質問と回答
《質問》
日米同盟とは何ですか?
1960年の安保条約と、これを拡充・補完する「条約」「法」「宣言」などと結びついたアメリカとの関係でしょうか?
それとも「アメリカの目下の同盟者の日本」と「アメリカ」との関係をいうのでしょうか?
テキストを読んでも漠然とした感じです。
《回答》
あなたの理解は基本的に正しいと思いますが、もう少し突っ込んで、日米同盟について整理しておきます。
同盟とは軍事同盟のことで、同盟を結んでいるそれぞれの国が、戦争になったらお互いに結束してたたかうこと、そして、“血を流す”こともいとわないという関係のことです。
日米同盟=日米軍事同盟は、1960年に改定された現行の日米安保条約を中核とし、その他の協定やとりきめなどによってつくられた、日米安保体制とよばれるアメリカいいなりの同盟関係のことをいいます。
歴代政府は、日米安保条約は憲法第9条と矛盾しないという立場から、湾岸戦争以降の自衛隊の米軍への協力などについて、安保条約を根拠に説明していました。
しかし、たび重なる米軍への軍事協力が安保条約の枠組みでも説明がつかなくなり、イラク派兵に至っては「日米同盟」を根拠としなければ説明できないほど、安保条約からも大きく逸脱することになってしまいました。
この日米間の同盟関係=日米同盟の形成は、1975年にアメリカがベトナム侵略戦争に敗北して以降、意識的に追求されるようになります。
アメリカは東アジアの支配体制の立て直しをめざして日米同盟の再編強化にとりくみ、日本に国際的責任分担を強くもとめてきます。
その結果、78年に「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)を決定し、このガイドライン体制のもとで、81年の鈴木・レーガン日米首脳会談において戦後はじめて「同盟関係」を明記した共同声明が発表されます(しかし、当時はまだ「同盟」を公然と口にすることはタブーとされていたために大混乱に陥り、鈴木首相は「軍事的側面は含まない」などと弁明しますが、アメリカの怒りと失望をかってしまい、事態を収拾するために、責任をとって伊東外相が辞任に追い込まれることになります)。
やがて中曽根内閣が成立すると(82年)、「西側の一員」としての積極的役割をはたす「国際国家日本」が強調されました。
この国際的役割が本格化するのは、91年の湾岸戦争以後のことです。
湾岸戦争、ソ連崩壊(91年)などの歴史的激動のもと、「安保再定義」が提起されます。
ソ連崩壊後の日米安保体制の存在理由を明らかにする必要があったからです。
96年の橋本・クリントン日米首脳会談で「安保共同宣言」が発表され、翌97年には新ガイドラインが決定。
99年には周辺事態法が制定されます。
この法律は、日本の「周辺」である「アジア・太平洋地域」で勃発するアメリカの戦争に、自衛隊が後方支援のために参戦するというものです。
現行安保条約で義務づけられている日米共同作戦の範囲が、日本の領域から「周辺」に拡大されたのです。
このころ、外務省からは「安保体制は安保条約より広い概念」という見解がだされ、「安保体制のモデル・チェンジ」が叫ばれるようになります。
このような日米安保体制を軍事同盟化する動きを一挙に拡大したのが、2001年のテロ事件以後の日米協力でした。
イラクなどアメリカが中東で展開する戦争に日本は積極的に協力していますが、先ほどものべたように、その根拠を安保条約では説明できなくなっています。
もはや日本の領域や「極東」、さらには「周辺」地域をも超えています。まさに地球的規模の同盟といえます。日米安保体制が「世界の中の日米同盟」になったのです。
しかし、イラク戦争の失敗にみられるように、アメリカの軍事的覇権主義は破綻し、アジアや中南米を中心に平和の共同体を求める運動が発展しています。
21世紀の国際社会の激変によって、すでに進行していた軍事同盟の解体・縮小・機能停止がさらに進むこととなります。
もはや軍事同盟は“時代遅れ”の産物なのです。
つまり、日米同盟強化の路線を推進し、その最大の障害である憲法第9条を変えることは、平和のルールづくりをすすめる世界の動きに逆行しているのです。
憲法第9条をまもり、活かしていくことこそが、21世紀の世界と日本にもとめられていることなのです。 (勤通大事務局)
【参考文献】
『学習の友』別冊「なくそう貧困 まもろう憲法 やめよう安保」(2009年8月)
山田敬男著『戦後日本史─時代をラディカルにとらえる』(学習の友社、2009年)
安保破棄中央実行委員会編集・発行『安保がわかるブックレット⑤ 今日の日米同盟』(2009年6月)