“たたかいの島・沖縄”を象徴する歌「沖縄を返せ」。
みなさんのなかにも、歌ったことがある、聞いたことがあるという人がいると思います。
みなさんのなかにも、歌ったことがある、聞いたことがあるという人がいると思います。
「固き土を破りて 民族の怒りに燃ゆる島 沖縄よ――」
文字どおり「民族の怒り」に満ちたかのような力強いメロディを作曲したのは、三池闘争のなかで生まれた「がんばろう」で知られる荒木栄です。
1956年9月にひらかれた九州うたごえ祭典の創作発表会において、大衆投票で1位となった「沖縄を返せ」(全司法福岡高裁支部が作成)を、「曲想が暗すぎる」ために、荒木が行進曲風に改作しました(神谷国善著『労働者作曲家 荒木栄の歌と生涯』新日本出版社、1985年)。
占領下沖縄の“島ぐるみ闘争”を支援するために生まれた曲が、現在まで歌い継がれているのです。
この曲の最後のフレーズは、「沖縄を返せ 沖縄を返せ」。このフレーズが、現在では「沖縄を返せ 沖縄へ(に)返せ」と歌われることがあります。
“基地のなかの沖縄”という現状を打破せんとする強い意思が示された歌い方といえます。
「沖縄の集会を取材して、あらためて距離を感じたのは13年前だった。米軍普天間飛行場の県内移設に反対する1万2千人が「沖縄を返せ」を合唱した。……会場では『沖縄を返せ 沖縄に返せ』と歌われた。『を』が『に』に変わっただけだが、そこにはもう沖縄と本土の連帯感はない」「代わりに、島を自分たちに返せという、決然とした抗議があった。本土の記者として、歌声に縮こまった記憶は苦い。そして今、沖縄の不信は消えるどころか尖(とが)り、基地の押しつけを『差別』ととらえる意識が広まっているという」。
私は、なぜ歌詞の言い換えが「沖縄と本土の連帯感はない」ことになるのか、理解に苦しみます。
同じ文章のなかで、「いま沖縄は氷のように冷たい目で本土を見ている」という沖縄に住む作家の言葉も紹介されています。
たしかに、そういう面があることも事実でしょう。
この文章を書かれた方が「本土の記者として、歌声に縮こまった記憶は苦い」という気持ちは理解できます。
だったらなぜ、もっと「距離を縮めなければいけない」とか「連帯感を強めねばならない」という決意を示さないのか。
この文章から読みとれるのは、沖縄のことを心配しているようでいて、実はただ「傍観者」的な態度をとっているにすぎない、ということのような気がしてなりません。
私個人の経験をいえば、10数年前に沖縄に行き、ある基地反対集会に参加したさい、現地の人に、つい、「たいへんですね。がんばってください」といってしまったのですが、これにたいしてその人はムッとしたような顔をして、「何をいってるんだ。がんばるのはあんただろ」と怒られてしまいました。
つまり、「距離」をつくり、「連帯感」を示さないのは、私たち本土の人間ということになります。
少なくとも、多くの沖縄の人たちが本土の人間に不信感を抱いている。
そういう状況をつくりだしていると目される本土の人間が、「距離を感じる」だとか「連帯感がない」などというのは、自分の置かれている立場をまるで理解していない、実に無責任な態度ではないでしょうか。
沖縄問題を沖縄の問題に矮小化してはならないとつくづく思います。 〈ブログ担当・吉田ふみお)