山田敬男先生と行く沖縄実践学習旅行(その3)―東京労働学校三多摩教室
更新遅くなりました。
沖縄2日目のつづきです。
嘉手納をあとにした一行は、つづいて北谷(ちゃたん)町砂辺地区へ。
ここは沖縄戦のさいに米軍が最初に上陸した地です。
第二次世界大戦米軍上陸地のモニュメント。
この地は現在は埋め立てられて、米軍住宅街になっています。
公園内にはアメリカ流にバスケットコートが。
周辺では「Y」ナンバーの車が走り回り、いかにも、という感じでした。
さっきのモニュメントがある所から撮影。
このマンション、家賃はなんと20万!!!
なるほど、「思いやり予算」で米兵が住んでいるわけだ。
ちなみにこのマンションを建てたのは大京建設とのこと。
大京建設の地元は横浜なので、北谷にはいっさい、金が落ちない。
「だいきょう」とうったら、最初は「大凶」とでたので、まさに北谷の状況そのものですな(^^;)
周辺には、こんな空き地に近いものがいくつもあります。
そばにたっている看板には、「植栽工事」などと書かれており、
「ハイビスカス24本 キバタイワンレンギョ104本 モクセンナ6本」などとも。
しかし、上の写真にはハイビスカスなど見当たりませんね。
さらにその下には施工業者の名前が。
山内さんの説明によると、防衛施設局というのは占領時代の「調達庁」が前身で、
文字どおり、占領軍のためにさまざまな物資を調達するためにつくられたとのこと。
こういう役所は、業者との癒着が置きやすいとも。
つまり、植栽は名目で、私腹を肥やしている連中がいるということ。
こういう税金の使い方、まさにふざけるな!って感じ。
私たち国民がちゃんと監視してないといけませんね(怒)!
容量がいっぱいで写真がこれ以上掲載できないので(>_<)
まだ2日目の途中ですが、つづきはいずれまた。 (東京労働学校三多摩教室運営委員会)